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さて、今月は「自分が感じたことを言葉で表現する。」と言う事について話し合いました。
そういえばと子供の頃からの自分を振り返ると、私は子供の頃から自分の言葉で自分の気持ちを表現することが、とても苦手です。
「なぜかな?」→「くちべただから」これが一通りの自分の中での方程式でした。
もっとも真剣にそんなことを考えたことはありませんでしたが・・・・・。
時はさかのぼり、今回のお題を探すのにあたって色々と参考になるものを検索していると、こんな文章に出会いました。
「日本人は自分の感情を表現することをあまり由とはしてきませんでした。『大人しくて偉いわねぇ』などと言う言葉に象徴されるように・・・・・・。」
この文章を読んだとき子供の頃のある一場面がフラッシュバックしてきました。
デパートのおもちゃ売り場の前、子供が「おもちゃがほしい」と母親に駄々をこねて床に寝そべって大泣きしています。
その横を通りすぎる私と母親、母親は私の手を引きながらこう言います。「あの子は良くない子だからね!あんなことはしちゃだめよ!」
私は「うん」と言います。
子供の頃のある一場面ではありましたが、急に私の記憶の一部を鮮明にたたき起こしました。
ある参加者がこんな意見をくれました。
「カウンセリングをしていると、事の善し悪しではなく無条件にこれは悪いことだと決めつけてしまっている人がいる。」
心理学で言う「刷り込み」や「初期経験」というものが関係してきているのだろうか。
「おもちゃが欲しい」→「悪い事」→「欲しがる事は良くない事」→「自分の欲求を主張する事は良くない事」→「気持ちを主張する事は良くない事」
事の善し悪しではなく、無意識に良い子でいる為に、または周りから良い子と思われ様とする為に、子供の頃にこんな方程式を組み上げてしまっているのであろうか?
もちろん社会生活を営むうえで、ある度合いの「我慢」や「謙遜」といった事は必要である。
日本の「謙遜」への美学や「我慢する事」の必要性を否定するつもりも毛頭ない。
しかし、その度合いを超えてしまった場合それは心理的なストレスを生む原因となるのかもしれないと感じ入ってしまった。
さて、冒頭の私のくちべたの件でありますが、少し自分なりに整理してみました。
「初期経験」などの経験も多少なりあるのでしょうが・・・・・、
こんな感じかもしれません↓
「欲しい」→「ダメ」→「欲しい」→「ダメ」・・・・・・・・「はじめから欲しがらない」
「言葉にする」→「否定される」→「別の言い方をする」→「反論される」・・・・・・・
「はじめから言葉にしない」
つまり、「どうせダメだろう」とはじめから諦めているのですね!
「失敗」や「辛い事」を繰り返すうちに自信を失い、「言わない方が良い」という選択を無意識にしてしまっているみたいです。
皆さんは、私の様な人の相談に乗る時、どのように向き合ってくれますか?
「勇気だせ!」とか「男だろう!」とか「失敗してもともとなんだから!」とかそんな言葉をかけるのでしょうか?
私にそんな言葉は響きませんよ!
だってそんな事自分でもわかっているのですから・・・・。
できればくちべたな私の話を、ただただ聴いてください。
1月17日、今月もとまり木の学習会が開かれました。今月のお題は「無知の姿勢で聴く」についてです。
毎月のとまり木の学習会ではお題を選定してそれについて参加された皆さんの忌憚のないご意見をいただきもう一度カウンセリングや傾聴さらに日頃の人とのコミュニケーションを見つめなおすという時間を設けています。
まず「無知の姿勢(=not knowing)」とはなんぞや・・・
人は誰しも素の状態で話を聴くと過去の自分の経験や、それまで出会ってきた人たちと関連づけて人の話を聴いてしまう特性があるのだそうです。
この様な素の状態で人の話を聴くと、「これはこういうことだ!」と話を先読みしてしまい、人の話を決めつけて聴いてしまいがちになってしまいます。
これでは話し手の真意が伝わらないどころか、まったく見当違いで話を聴いてしまいかねません。
人の話を聴くときはまずこの「無知の姿勢で聴く」これが必要になってきます。偏見や思い込みを排除して、相手のこと、相手の話を知らない、初めて聴いたという姿勢で聴くことが重要になります。
ここである参加者から「知らないと言ってもそれまで聴いていたその人の情報までは知らない状態にする必要はないよね」とご意見が・・・・、
おっしゃる通り!
実際、何度も会っているような間柄でいつも相手の話を「知らない」では「人の話を聴いてるの?」という事になってしまいます。
重要な事はしっかり記憶にとどめておいて、あくまでも「初めて聴きました」という心構えで聴くというのが無知の姿勢の本当の意味なのかもしれません。
人は誰しも、初めて聴くことには新鮮な気持ちで興味を持ち、わからないことは質問までして、真剣に相槌を打って聴こうとします。
そのような姿勢で聴いてくれる人とは自然と口が軽くなり、心を打ち解けやすくなりますよね。
反対にこんな意見も、
「怖いのは心を打ち解けていくと、お互いに「慣れ」が生じてお互い手抜きをしてしまうよね。」との事、「皆まで言わなくてもわかるよ。」というヤツです・・・
たしかに!
本当に皆まで全てわかっていれば問題ないのですが、もしそこに少しずつ少しずつ真意のずれがあったとしたらどうなるでしょう。そのずれは時が経つにつれ、いずれ大きなずれとなってしまいます。
カウンセリングではもちろんのこと、日常生活においてもこのずれはとても大きな問題となってしまいます。
このような事にならない様、信頼しあえる間柄になっても、たまにはお互い「無知の姿勢」で話を聴き、新鮮な間柄に戻れる様、お互いの関係性のメンテナンスは必要ですね!
さて最後に「この無知の姿勢で聴く」のは日常生活のおいては、大変難しいことかなと思いますが、ふとした時に思い出して、ふと実践してみるのもいいのかもしれません。
大切なあの人の何か新たな事に気づくかもしれませんよ。