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埼玉にあるNPO法人、心のケア・とまり木のブログです。何気ない日常の出来事から心理学、カウンセリングについて綴ります。
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目的論

~ある理由~

 

私は箱のような部屋の中にいます。

 

壁はただただ真っ白でそれを装飾するものなどはありません。

 

部屋には小さな窓と出入りするためのドアだけがあります。

 

窓はちょうど私の顔ほどの大きさです。

 

そこからは外の様子が見えます。

 

その様子は私にとって、とても興味深いものであり羨ましいものであります。

 

高層ビルの職場で夜遅くまで仕事をしている人、

砂場で友達と遊んでいる人、

恋人と手をつないで歩いている人、

 

色々と本当に様々な様子が見て取れます。

 

私は気持ちをわくわくさせます。

 

 

ある日、私の部屋を誰かがノックしました。

 

「そんなところにいないで出ておいでよ。」

 

私はこう答えます。

 

「ある理由で出られないんだ。」

 

 

次の日も私は窓を覗きます。

 

高層ビルの職場で怒られている人、

友達にいじめられている人、

恋人とけんかをして泣いている人、

 

私は思います。

 

「・・・・だからダメなんだ。」


私は考えつく限りのダメな理由を思い浮かべます。

 

そして自分を高尚な人物に仕立て上げ達観します。

 

 

また、私の部屋をノックする人がいます。

 

私は答えます。

 

「ある理由で出られないんだ。」




誰かが尋ねます。


「ある理由っていったいなんなのだい。」


私は答えます。


「私にとって体の良いものです。」

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負けんなよ

劣等感はあっていい!

 

アドラー心理学では劣等感を肯定的にとらえている。劣等感はそれをバネにして人を成長させるものだからである。

 

それとは逆にアドラーは、その劣等感を前向きにとらえきれずそこにふたをして後ろ向きになってしまう劣等コンプレックスもあるとしている。

 

さてさて、皆さん劣等感はお持ちでしょうか?

 

その劣等感はどちらですか?

 

私はというと劣等コンプレックスの塊のようなものであります。劣等感が服着て歩いているようなものです。

 

ネガティブ思考の私としては、以前よりそう考えるのが当たり前であり、自分にはしっくりときていた。勉強会でも「アドラーのこの考えはついていけない。」などと話をしていた。

 

がしかしである・・・・。

 

しかもつい最近・・・・

 

20代の仕事場の同僚が「yanagiさんってなんでもできますよね!苦手ってあります?」と仰天発言をしてきた。

 

「えっ!」

 

得意なものはまあまあ自分の中になるべく目立たないように持ち歩いている。

 

 

苦手なものとなるといまいち思い当たらない。

 

「あれ?」である。

自分でもびっくりするくらい「あれ?」と考えてしまった。

 

苦手がないのか?

 

気づいていないだけなのか?

 

しばらくの間考えてみた。

 

 

 

しばらく考えた。

 

考えた結果、五里霧中ではあるがたぶん「向上心」とかに関係があるように思えてきた。

 

もっとも私の場合「向上心」とか前向きな表現ではなく「できない事へのもどかしさ」という方が腑に落ちる。

 

「できるようになりたい。」というエンジンではなく、「できないことがもどかしくて」というエンジンでコンプレックスを克服してきたように思う。

 

しかも意識をしないままに

 

そういえばそうである。仕事にしても趣味にしてもコツコツと黙々と目立たないように作業をすることができるのが私の一つの自慢である。

 

そうして昔から「もどかしさ」を感じるとそのコツコツが、妙に推進力を増してコツコツ前に進む傾向にある。

 

調べ物をしたり、外に出たり、教室に通ったり、

 

ただ、目立たないようにするのが私の一つのこだわりである。

 

 

 

人間が

 

得意なものを伸ばして超人的な専門的なものを得るがそれ以外ダメな一点集中タイプと

 

まあまあなんでも平均よりできて苦手なものの少ないオールマイティータイプと別れるのであれば

 

私は昔から後者である。

 

それはたぶん苦手を作るリスクを取るのが嫌だからである。

 

おかげで自分の物の考え方は「中庸」を良しとする考え方が大勢を占める。

 

「中庸の徳たる、其れ到れるかな。民鮮きこと久し」

 

孔子曰くそれは最高の徳と讃嘆されるものとなっている。

 

もっとも孔子のいうそれとは私の場合少し趣が異なるが・・・

 

 

がしかし

 

 

まあなんにせよ 結果オーライである。

 

こうして劣等感を克服してきたことには間違いはない。

 

 

 

人は誰しも

 

ステージが進むごとに、新たな挑戦を始めるごとに、失敗から這い上がろうとするたびに

多かれ少なかれ劣等感からスタートを切る。

 

その見えないスタートラインを何本引けるかが人を成長させる肝になってくるのだと思う。

 

 

 

負けんなよ!

悩みです。アドラーさん

人間の悩みはすべて人間関係にある。

 

大雑把な表現ではある。アドラーさん

詳細にアドラーさんの考えを突き詰めて行くと、行きつく先はそうなるのかもしれない。

 

最近、仕事の悩みを相談された。その方も行きつく先は人間関係だった。

 

 

 

兎角、人間は他人と自分を比較したがる性質がある。

あの人と比べて自分は・・・。あの家と比べて・・・。あそこの家の子と比べてうちの子は・・・。あの人の職業と比べて自分の仕事は・・・。

 

「比べて」、「比べて」比べて星人なのである。

 

「そこから脱したい!」とまあ誰しも一度は考える、これもまた人。

 

『自分は自分』『自分をしっかり持って』

色々と励ましの言葉を昔から聞いてきた。

読経のように繰り返すもいまだ自分にはしっくりきていない。

 

いずれその事を考えるのを忘れて、いつかまた開くであろうその日までそのパンドラの箱は閉ざされていく。

 

比べて星人の悩みはその繰り返しであるように思う。

 

 

 

人は一人では生きていけない。どうしても集団に属する必要がある。

属せばそこに悩みは生まれてしまう。

それはもうどうしようもないことで

アドラーさんは

 

他者信頼

他者貢献

自己受容

 

この3つが集団(共同体)で生き抜くために必要だと言っている。

 

詳しいことは割愛するがなかなかハードルが高いように感じる。

 

 

 

最後に「しあわせって何をもってしあわせなんだろう」と参加者の一人が発言された。

皆さんこぞって「それは人それぞれだよね!」という趣旨の答えを返さていた。

 

 

皆さんやっぱりわかっている。

『比べる星人の虚無感』

 

 

 

テレビであるロックンローラーが言っていた。

「男の顔はその人の人生を刻む。しわだって、はげだって、白髪だって、このしわを刻むのに俺がどれだけやってきたか・・・・。もっと深く刻みたいよ!」みたいな事。

 

しわだって、はげだって、白髪だって他人と比べると恰好悪いと思ってしまう。

今の自分にはこんな感じの伝え方の方がしっくりとくる。

 

 

 

「人間の悩みはすべて人間関係にある。」

人間関係なのか・・・? 自分の中になのか・・・?

『アドラーの心理学』始めました。

4月になりました。蕾が春風の中、自らを奮い立たせ芽吹き始めるそんな季節です。

今月も多くの参加者と勉強会が開催されました。

 

今月のお題は、『アドラーの心理学』です。

 

ん?

 

なぜ?

唐突に!

アドラー!!?

 

なのかと言いますと、先々月「自分が感じたことを言葉で表現する。」というお題で皆さんのご意見をいただきました。

 

皆さんのご協力のおかげでその場は何となくまとまったのですが、どうも自分自身事前の準備不足が心に残り昇華しきれていない感がありました。

 

という事で今月は前回を引き続いて『リベンジ!』と心に誓い、『しっかりと準備!』と思いアイメッセージについて調べていました。

 

少しづつ調べ出すと、どこへ行ってもどこを曲がってもどうもこのアドラーさんが顔を出してきます。目立ちたがり屋には感じませんが、いつもさりげなくそこにいます。

「どうもこんにちは」「またお会いしましたね」しばらくそんな会話を交わすうちに

なんとなく顔見知りに・・・? 名前見知り??

 

いつでも興味というものはそんな些細な偶然から生まれてくるのです。

 

 

『アドラー』名前は聞いたことあるけど、なにやった人だっけ?

自分の中の無知が答えを欲しています。

 

誰だっけ?・・・・

前にコンビニの書籍コーナーでこの名前たくさん見たような・・・・。

カウンセリングの資格試験の時に勉強したような・・・・・・。

 

そうこう記憶喪失の頭の中の引き出しをひっくり返してみても探し物は見つからず、

興味というよりも無知の虫が騒ぎ始めて、少し調べてみようかな?と。

 

 

調べてみるとアドラーさん、興味深かったり、むむむだったり、それはないだったりと、私の心の中を賑やかにしていきます。なんと騒がしい人なのか・・・・。

 

私の心がこれだけのパーティー様になるということは、もしや他の人も・・・・・。

 

はっ!!

 

『この人お題にはもってこいの人なのかも!』

 

と思い立ち急きょこのアドラーさんについて皆さんのご意見をいただくことにしました。

 

 

この自分勝手極まりない、みごとオールカラーの独裁色な思いつきではありますが、

 

急ぐ旅でもございません。

しばらくの間、お付き合い下さい。

 

という事でしばらくの間、『アドラーの心理学』について学んで行こうと思います。

今月のまとめ

さて、今月は「自分が感じたことを言葉で表現する。」と言う事について話し合いました。

 

そういえばと子供の頃からの自分を振り返ると、私は子供の頃から自分の言葉で自分の気持ちを表現することが、とても苦手です。

 

「なぜかな?」→「くちべただから」これが一通りの自分の中での方程式でした。

もっとも真剣にそんなことを考えたことはありませんでしたが・・・・・。

 

 

時はさかのぼり、今回のお題を探すのにあたって色々と参考になるものを検索していると、こんな文章に出会いました。

 

「日本人は自分の感情を表現することをあまり由とはしてきませんでした。『大人しくて偉いわねぇ』などと言う言葉に象徴されるように・・・・・・。」

 

この文章を読んだとき子供の頃のある一場面がフラッシュバックしてきました。

 

デパートのおもちゃ売り場の前、子供が「おもちゃがほしい」と母親に駄々をこねて床に寝そべって大泣きしています。

 

その横を通りすぎる私と母親、母親は私の手を引きながらこう言います。「あの子は良くない子だからね!あんなことはしちゃだめよ!」

 

私は「うん」と言います。

 

子供の頃のある一場面ではありましたが、急に私の記憶の一部を鮮明にたたき起こしました。

 

 

ある参加者がこんな意見をくれました。

 

「カウンセリングをしていると、事の善し悪しではなく無条件にこれは悪いことだと決めつけてしまっている人がいる。」

 

心理学で言う「刷り込み」や「初期経験」というものが関係してきているのだろうか。

 

「おもちゃが欲しい」→「悪い事」→「欲しがる事は良くない事」→「自分の欲求を主張する事は良くない事」→「気持ちを主張する事は良くない事」

 

事の善し悪しではなく、無意識に良い子でいる為に、または周りから良い子と思われ様とする為に、子供の頃にこんな方程式を組み上げてしまっているのであろうか?

 

もちろん社会生活を営むうえで、ある度合いの「我慢」や「謙遜」といった事は必要である。

 

日本の「謙遜」への美学や「我慢する事」の必要性を否定するつもりも毛頭ない。

 

しかし、その度合いを超えてしまった場合それは心理的なストレスを生む原因となるのかもしれないと感じ入ってしまった。

 

 

さて、冒頭の私のくちべたの件でありますが、少し自分なりに整理してみました。

 

「初期経験」などの経験も多少なりあるのでしょうが・・・・・、

こんな感じかもしれません↓

 

 

「欲しい」→「ダメ」→「欲しい」→「ダメ」・・・・・・・・「はじめから欲しがらない」

 

「言葉にする」→「否定される」→「別の言い方をする」→「反論される」・・・・・・・

「はじめから言葉にしない」

 

 

つまり、「どうせダメだろう」とはじめから諦めているのですね!

「失敗」や「辛い事」を繰り返すうちに自信を失い、「言わない方が良い」という選択を無意識にしてしまっているみたいです。





皆さんは、私の様な人の相談に乗る時、どのように向き合ってくれますか?

 

「勇気だせ!」とか「男だろう!」とか「失敗してもともとなんだから!」とかそんな言葉をかけるのでしょうか?

 

私にそんな言葉は響きませんよ!

だってそんな事自分でもわかっているのですから・・・・。

 

 

できればくちべたな私の話を、ただただ聴いてください。



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