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劣等感はあっていい!
アドラー心理学では劣等感を肯定的にとらえている。劣等感はそれをバネにして人を成長させるものだからである。
それとは逆にアドラーは、その劣等感を前向きにとらえきれずそこにふたをして後ろ向きになってしまう劣等コンプレックスもあるとしている。
さてさて、皆さん劣等感はお持ちでしょうか?
その劣等感はどちらですか?
私はというと劣等コンプレックスの塊のようなものであります。劣等感が服着て歩いているようなものです。
ネガティブ思考の私としては、以前よりそう考えるのが当たり前であり、自分にはしっくりときていた。勉強会でも「アドラーのこの考えはついていけない。」などと話をしていた。
がしかしである・・・・。
しかもつい最近・・・・
20代の仕事場の同僚が「yanagiさんってなんでもできますよね!苦手ってあります?」と仰天発言をしてきた。
「えっ!」
得意なものはまあまあ自分の中になるべく目立たないように持ち歩いている。
が
苦手なものとなるといまいち思い当たらない。
「あれ?」である。
自分でもびっくりするくらい「あれ?」と考えてしまった。
苦手がないのか?
気づいていないだけなのか?
しばらくの間考えてみた。
しばらく考えた。
考えた結果、五里霧中ではあるがたぶん「向上心」とかに関係があるように思えてきた。
もっとも私の場合「向上心」とか前向きな表現ではなく「できない事へのもどかしさ」という方が腑に落ちる。
「できるようになりたい。」というエンジンではなく、「できないことがもどかしくて」というエンジンでコンプレックスを克服してきたように思う。
しかも意識をしないままに
そういえばそうである。仕事にしても趣味にしてもコツコツと黙々と目立たないように作業をすることができるのが私の一つの自慢である。
そうして昔から「もどかしさ」を感じるとそのコツコツが、妙に推進力を増してコツコツ前に進む傾向にある。
調べ物をしたり、外に出たり、教室に通ったり、
ただ、目立たないようにするのが私の一つのこだわりである。
人間が
得意なものを伸ばして超人的な専門的なものを得るがそれ以外ダメな一点集中タイプと
まあまあなんでも平均よりできて苦手なものの少ないオールマイティータイプと別れるのであれば
私は昔から後者である。
それはたぶん苦手を作るリスクを取るのが嫌だからである。
おかげで自分の物の考え方は「中庸」を良しとする考え方が大勢を占める。
「中庸の徳たる、其れ到れるかな。民鮮きこと久し」
孔子曰くそれは最高の徳と讃嘆されるものとなっている。
もっとも孔子のいうそれとは私の場合少し趣が異なるが・・・
がしかし
まあなんにせよ 結果オーライである。
こうして劣等感を克服してきたことには間違いはない。
人は誰しも
ステージが進むごとに、新たな挑戦を始めるごとに、失敗から這い上がろうとするたびに
多かれ少なかれ劣等感からスタートを切る。
その見えないスタートラインを何本引けるかが人を成長させる肝になってくるのだと思う。
負けんなよ!